第21話「気のどくな富三郎さん(4)― 祖父と富三郎さん ―」

更新日:2023/09/02

 まだまだ暑い日が続きますが、夕暮れにはヒグラシの鳴き声が聞こえ出しました。地道に秋は訪れているようです。さて、前回は倉場富三郎さんの話でしたが、今回はわき道に逸れてうちの祖父の話です。富三郎さんと祖父にはどのような接点があったのでしょうか。

 

 祖父・髙木義盛は1900年、明治の終わりに長崎で生を受けました。生まれつき右足が不自由で杖を手放せませんでしたが、当時では規格外の170cmを超える大男でした。長身痩躯で彫も深く若い頃はハーフと間違われることも多かったそうです。そんな祖父には瓜二つの兄がいました。遊びに来た時は杖のあるなしで見極めるしかないほどでした。兄弟仲もよかったようですが、祖父と兄は名字が違っていました。子ども心にこれは我が家のタブーだと感じていましたが、事実を知るのは祖父が亡くなった後でした。

 ご推察のとおり曾祖父と曾祖母は離婚して、兄を父方が弟を母親が引き取ったのでした。叔父たちの話によると体が不自由だった祖父が離婚の原因だったようです。3組に1組が離婚する現代と違って、明治時代の三行半はかなりの社会的ダメージがあります。曾祖母は髙木の実家にも戻れず、女手一つで祖父を育てることとなりました。医者である曾祖父の家に向こうを張って曾祖母が目を付けたのは、当時海とも山ともわからない英語でした。苦労して祖父を大学に出し、英語という武器を授けたのです。

 こうして祖父は外資系商社の大北電信(The Great Northern Telegraph)に通信士兼通訳として勤めることとなりました。さすがに先進国の商社、給料は医者も県令(県知事)をも超える額だったらしいです。不自由な体で母子家庭だったため、厳しい環境で育った祖父は人生を逆転させました。20代でロシア人から家を買い取り、英国製のスーツを身に着け、長崎小町と呼ばれていた祖母と結婚、まさにこの世の春だったことでしょう。それにしても英語に目をつけた曾祖母の先見の明には驚かされます。

 

 大北電信は国際電話の架設事業と欧州諸国の情報を国内に伝えることを主とした商社でした。祖父は国際情報を担当していたのですが、時差の関係で入電は夜中、国内への発信は昼間と寝る間がない激務だったそうです。情報の受取先はイギリスを中心とした外資系商社でしたが、その中にホーム・リンガー商会がありました。そうです、富三郎さんの会社です。こうして祖父と富三郎さんの交流が始まりました。自分たちと同じくらい長身で、流暢なキングズイングリッシュを話す日本人の若者を富三郎さんは気に入ったようです。家も近かったので再々自宅に招いてくれました。壮年にさしかかり子どもがいなかった富三郎さんは、祖父をわが子のように思ったのかもしれません。さらに二人には共通点がありました。かたや混血児として、かたや障害者として、いじめや不当な差別を受けて育った学生時代です。そんな苦しい生い立ちを跳ね返し、幸せをつかんだ二人はグラバー邸で親交を深めていきました。

 このまま「めでたしめでたし」となればよかったのですが、二人の背後には時代の暗雲が忍び寄っていました。 (つづく)

 

「 大北電信(左から2番目の建物)」(長崎外国語大学所蔵)

 

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