第23話「気のどくな富三郎さん(6) ― 完結編 ―」

更新日:2023/11/04

 夏日が続く晩秋ですが、旅をするにはいい季節となりました。長崎にお越しの際は南山手に足を延ばしてください。さて、6回にわたって書き綴った富三郎さんの話も遂に完結です。後味が悪い結末ですが最後までお読みください。

 

 前回は栄華を極めた富三郎さんが、第二次世界大戦により人生が暗転する話でした。悪いことは更に重なります。戦局は日増しに厳しくなり、富三郎さんはハーフだったが故にスパイ容疑をかけられます。収監こそ免れたものの、軍の監視下の生活を強いられます。更に自宅からも追い出されました。理由はグラバー邸から建造中の戦艦「武蔵」が丸見えだからと言うものでした。日本人としての自負を持ち、日本の繁栄のために働いてきた富三郎さんに、軍部は酷い仕打ちをしたのです。妻のワカさんはあまりの環境の変化に病床に臥し1943年他界します。そして、職も妻も家も失った富三郎さんを最大の悲劇が襲います。1945年8月9日11時2分、長崎に原子爆弾が投下されたのでした。町は一瞬にして灰になり、夥しい死傷者が横たわる地獄と化しました。

 自分が愛する故郷と親交がある人々をなくしてしまい、しかも自分の体にはその原爆を落とした連合国の血が流れている。富三郎さんの心は折れました。8月26日自宅で首を吊り自ら命を絶ちました。享年74歳でした。

「富三郎さんは気のどくだった。」祖父の言葉は、倉場富三郎さんの功績と不遇な最期を言い表していたのです。祖父は軍部や戦後の政府からの通訳の仕事を全て断りました。自分や富三郎さんに対する仕打ちへの意思表示だったのかもしれません。

 

 富三郎さんの遺言に従い、復興の為に金壱拾萬円(約5,000万円)が長崎市に寄贈され、「日本西部及び南部魚類図譜」は渋沢栄一の長男渋沢敬三に託されました。最後まで日本を愛していた人柄が偲ばれます。

 倉場富三郎さんは坂本国際墓地の両親の墓の隣に、ワカさんとともに眠っています。一度足を運ばれてみてください。

 

   「倉場富三郎さんの墓」 ©長崎県観光連盟

 

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