第33話「夏休みの自由研究と深堀騒動の話」

更新日:2024/08/31

 日本列島を縦断した台風10号、被災された方々にお見舞い申し上げます。

 

 さて今日は夏休み最終日、宿題に追われている学生さんも多いと思います。その中でもラスボスとして君臨する自由研究、今回も芸能人シリーズをお休みして、小さなお客さんの自由研究の話です。

 

 萌々香さんは利発な小学5年生です。長崎の歴史に興味があり自由研究のことで質問したいと訪ねてきました。てっきり居留地の話と思いきや、何と彼女がお題に選んだのは深堀藩の敵討ち「深堀騒動」でした。

 

 ご存じない方のために「深堀騒動」をおさらいしておきましょう。時は元禄13年(1701年)、鍋島藩深堀家の武士と、商人の髙木家の家来が些細なことから争いとなりました。髙木側は深堀家の家臣に暴行を加え刀まで奪ってしまいます。町人にここまでやられては面子が立たないと深堀家は未明に髙木家に討ち入り、当主の髙木彦右衛門をはじめ家来を討ち取りました。当時の武士の法律である「武家諸法度」に違反したとの事で、長崎奉行所は深堀側の武士を切腹・島流しの刑に処しますが、武士の心意気や天晴れと江戸でも評判となりました。翌年、赤穂浪士が討ち入りの際に参考にしたとの伝聞もあります。

 しかし、町人と武士が互角に戦う?疑問に思った方も多数いると思うので、当時の時代背景を見てみましょう。ご存じのとおり、江戸時代は鎖国で海外との交易は長崎の出島だけでした。出島は莫大な利益を生みますが、当然支出も半端じゃありません。資金が足りなくなった長崎奉行所は地元の商人の手を借りました。その筆頭が髙木家だったのです。潤沢な資金提供の見返りに髙木家は町年寄に任命され、名字帯刀の許しも出て武士と同格になったのでした。方や深堀家が所属する鍋島藩は外様大名です。幕府に命じられきつい沿岸警備に明け暮れていました。身分こそ武士>商人でしたが、奉行所と手を組んだ髙木家のほうが優位だった訳です。(時代劇だと悪代官と手を組んだ越後屋みたいな存在ですね。)

 

 さて、どうも我が家はこの越後屋の血を引いているみたいです。我が家の曾祖母は出戻りです。(21話参照)そのため、祖父や父の前で髙木家の話をすることはタブーでした。結構な歳になるまでルーツを知らず生きてきたのですが、思わぬ方から来歴を明かされました。

 長崎市の文化財課長(当時)の深堀彰さんは小柄で笑顔が絶えませんが、何かオーラがある方です。初対面の開口一番、

「あんたは南山手の髙木さん?はしご高で濁らないタカキさん?あんたのご先祖さんとうちのご先祖は昔ドンパチやってたのは知ってる?」

「はい、確かに髙木ですが。髙木違いだと思います。」

「いやあ間違いない。あんたの家の家系図はあんた以上に詳しいよ。だって、私は深堀家の末裔だから。」

 そうです。深堀さんは先祖代々深堀町在住、あの深堀家当主の末裔だったのです。謎のオーラはお殿様のオーラでした。こうして、敵同士の末裔の不思議な親交が始まったのでした。

 

 萌々香さんはどこで聞きつけたか髙木家の末裔(分家ですが)らしい私に、以上のような話を聞きに来たのでした。中でもなぜ町人が武士と戦えたの?と皆さんと同じように持った疑問を解決でき、自由研究は無事に仕上がりました。お代官様と手を組んだ悪徳商人の末裔も小学生の役に立てて恐悦至極な夏休みでした。

 

            「深堀義士の墓碑」(©みろく屋)

 

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