第25話「馬渡外科の話」

更新日:2024/01/02

 新年あけましておめでとうございます

 

 昨年は半月板手術のため生まれて初めて入院し痛々しい年でした。今年は皆様もご健勝でよき年になりますよう祈念しています。さて、「会長の小部屋」も3年目に入りました。本年もご愛読のほどよろしくお願いします。

 

 昨年の入院を除けばここ数十年、病院と言えば歯医者ぐらいの超健康優良を自負していますが、子どもの頃はとてつもなく病弱でした。扁桃腺もちで年中高熱に苛まれ、三日に一度は腹を下し、とどめに謎の蕁麻疹に襲われる、絵に描いたような病院漬けの日々でした。

 主治医は我が家の三軒下、馬渡外科の馬渡虎雄先生でした。戦中派の馬渡先生は大柄で豪放磊落、それでいてとても気さくな方で、我が家は祖父の代からお世話になっていました。病院に行くと「おっ髙木くん、また来たね。」と言うや否や、熱だろうが腹だろうが治療は常に注射一本です。しかも通常は腕なのでしょうが、そこは外科医の矜持なのか、よくて尻、普通は肩、下手すると首に打たれました。この注射が効果抜群、翌日には元気に登校と正に名医でした。成人してからは、馬渡先生どころか全く病院のお世話になることはない生活をしていましたが、39歳の時に突如熱発しました。翌日外せない用務があったので20数年ぶりに馬渡先生を訪ねました。80代後半となっていた先生、昔と変わらず「おっ髙木くん、久しぶりに来たね。」と迎えてくれましたが、足元が覚束なくなっていました。事情を話すと「早朝に来なさい。一日持つ体を作ろう。ただし夕方にはガクッと来るから、すぐに休むこと。」との診察。翌朝、日の出とともに首に注射を打たれ出勤しましたが、高熱が嘘のように夕方まで働くことができました。さすが名医、見事な治療でした。

 

 

 馬渡先生の功績は医師としてだけではありません。南山手の景観にも貢献してくれました。元々馬渡外科の建物は1860年代に建てられた、ファサード付きの流麗な洋館でした。国からの文化財指定(第2話参照)を受ける前に、住宅兼病院に建て替えられました。景観条例等の縛りがない頃でしたが、以前の造りを引き継いだ壮麗な建物は、南山手の名物病院として長年住民に愛されてきました。更に晩年の馬渡先生、病院の入り口に平らな丸石を積み上げた石造りのアーチを建てました。熟練の職人による石畳の坂道と見事に調和した建造物です。馬渡外科から坂道を見上げる眺めは、2001年度の都市景観賞を受賞しました。

 馬渡先生が亡くなった後、息子さんは他所で馬渡内科を開院しましたが、定期的に訪れて手入れをしているので、馬渡外科の建物は昔と変わらぬ景観を保っています。南山手にお越しの際は是非景観を愛でてください。

 

  「馬渡外科から上る石畳の坂道」

 

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