第18話「気のどくな富三郎さん(2) ~ 偉大な父トーマス・グラバー ~」

更新日:2023/06/05

 前回は「開国当時の世界事情」と題して、イギリスの覇権とロスチャイルド家の振興について書きましたが、今回はグラバーさんにスポットを当てます。

 

 1838年スコットランドに生まれたトーマス・ブレーク・グラバーさんは、イギリス領・上海のジャーディン・マセソン商会に入社しました。1861年上海から長崎に移り住み、マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を起ち上げました。1863年南山手に居を構え、貿易に励む傍ら坂本龍馬をはじめとする討幕派に武器や資金を提供しました。植民地政策を展開するイギリスは、頭が固い江戸幕府を倒し全面開国と国の構造改革を進めるねらいがあったのでしょう。

 グラバーさんは、様々な輸入品とともに最先端の文明を持ち込みました。1865年には産業革命の寵児である蒸気機関車を大浦に走らせ、そろばんドックとよばれる西洋式造船所を小菅(こすげ)に建設、蒸気機関の燃料である石炭の採掘事業を高島で始めました。更に高島の事業所とグラバー邸を海底ケーブルで結び電話まで通してしまいました。文明大国イギリスの名代ともいえるグラバーさん、当時の人々の目には遥か未来から来た異星人に映ったことでしょう。

 明治維新後も政府造幣局の機械輸入に関わるなど、グラバー商会は勢力を伸ばし続けました。ところが、思わぬところから転落が始まります。新政府樹立により戦いがなくなり、武器が全く売れなくなったのです。更には資金を貸していた藩も潰れて回収ができなくなり、1870年遂にグラバー商会は破産してしまいます。後押ししていた明治政府ができたら商売相手がいなくなったと言う訳です。何とも皮肉な話ですが、そこはグラバーさんただでは転びません。高島炭鉱の実質的経営者として日本にとどまり、岩崎弥太郎から三菱財閥の相談役として迎えられます。その後もキリンビールの立ち上げに関わるなど日本の産業発展に貢献しました。晩年には外国人として破格の勲二等の勲章を授与され、1911年73歳で生涯を閉じました。

 

 財界人として抜群の腕を振るったグラバーさん、私生活では日本人女性の淡路屋ツルさんと結婚し一男一女をもうけています。その一男が英名トミサブロー・アワジヤ・グラバー、本編の主人公・倉場富三郎です。富三郎さんは、偉大な父の庇護のもとグラバー邸で何不自由なくすくすくと育ち、明朗快活、頭脳明晰な青年に成長しました。

 

次回は、恵まれた環境で好青年に成長した倉場富三郎さんの話です。富三郎さんにどのような運命が待ち構えているのでしょうか。(つづく)

 

 「トーマス・B・グラバー(1838-1911)」

 

         「長崎の町中を走るアイアン・デューク号(1865)」

 

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