第11話「ロシア・シリーズ-異境の地で果てること(後編)-」

更新日:2022/11/05

 ロシア・シリーズ最終話、前後編としましたが前回の話をさっぱり覚えていないという素敵な記憶力をお持ちの方のためにおさらいです。「ゴルバチョフ大統領が長崎に墓参りに来たのはなぜでしょう?」どうです、1行でまとまりましたね。

(長々と書いていたが1行ですむじゃないか!と突っ込んではいけません。)

 

 生きとし生けるもの誰しも最後は鬼籍に入ります。勿論居住地で最後を迎える方が大半なのですが、赴任地や旅先で命運が果てる方もいます。長く続いた鎖国時代、それに続く居留地時代に長崎で亡くなった外国人は多数いました。

 

 1858年、船内で発生した疫病のため来港したロシア艦隊、船員の亡骸は長崎市に埋葬される事となりました。ここで問題となったのが宗教の壁です。ご存じのとおりロシア人のほとんどは「ロシア正教会」(キリスト教でもローマ・カトリックとは教義が違います。)、ところが鎖国時代の日本ではキリスト教は御法度、もちろん教会もありません。この難局に救いの手を差し伸べたのが「悟真寺」でした。悟真寺は浄土宗のお寺ですが、出島で亡くなった唐人(中国人)やオランダ人を受け入れていました。そこに今度はキリスト教のロシア人です。異教徒といえども亡くなってしまえば仏様、ならば一緒に弔ってあげましょうと、おおらかな長崎人らしい発想でロシア人墓地が誕生したのです。この墓地には、その後の日露戦争で亡くなったロシア人兵士も埋葬されています。

 そうです。ゴルバチョフ大統領はかつて異境の地で果てたロシア人の墓参りに長崎にやってきたのでした。宗教の壁を越えて墓地を守っている悟真寺の住職にも感謝の言葉を述べたゴルバチョフ、人情味あふれる大統領でした。

 

 さて、長崎で亡くなった外国人は、唐人、オランダ人、ロシア人だけではありません。開国と同時に居留地にはイギリス人を筆頭に各国から外国人が押し寄せました。長崎で亡くなる人も増え、遂に「外人墓地」が作られたのです。1861年最初の外人墓地となる「大浦国際墓地」が居留地内に作られましたが、やがて墓地は満杯となり1888年墓所を阪本町に移し「阪本国際墓地」となりました。阪本国際墓地にはキリスト教やユダヤ教など様々な様式の墓石が立ち並び、国内とは思えない景観と慕情を醸し出しています。居留地時代の立役者であるトーマス・グラーバー、その息子であり悲劇に見舞われた倉場富三郎の墓もあります。南山手から路面電車一本で行けます。一度足を運ばれてみてください。

 

 

      阪本外人墓地「トーマス・グラバーの墓」

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