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更新日:2025/05/06
皆様、大型連休は如何お過ごしでしたでしょうか?悲しいかな今日は最終日。遅くなりましたが今月の小部屋は田川憲シリーズ第2回です。
病気の見本市みたいな幼少期を過ごした私は、かなり多くの時間を馬渡外科の待合室で過ごしました。(25話参照)具合は悪く注射の恐怖と戦う中、唯一の救いは飾っていた1枚の絵でした。年端もいかない小僧でしたが、描かれている風景がどこなのかはすぐにわかりました。そうです、我が家の前の石畳の坂と1軒下の江頭(旧中尾)邸です。馬渡先生にこの絵は「タガワケンのキョウチクトウカン」と教えてもらいましたが、正しく理解するのに10年以上かかりました。病弱で絵を描くことが好きだった私は、「夾竹桃館」を真似してよく描いたものでした。
長崎県美術館・学芸専門監の福満葉子さんも田川 憲のマニアです。田川研究の第一人者で、自身で企画した田川 憲回顧展では「夾竹桃館」が表題になっていました。この版画が作製されたのは1958年、田川 憲が版画家として脂がのっていた52歳の作品でした。
さて、「夾竹桃館」から問題です。この絵には二人の人物が描かれていますがいったい誰でしょう?近所でも様々な説が飛び交いました。白シャツに帽子を被った男性と赤いスカートの女性は、①田川 憲夫婦、②江頭さんの祖父と母親子、③うちの祖父と叔母親子
いずれの可能性もありますが、私の考察は③です。まず、男性の服装です。パナマ帽に白い麻の長袖シャツと紺色のスラックス、右手にはステッキを持っているように見えます。祖父は夏場によくこのスタイルをしていました。更に女性です。東京に嫁いだ理子叔母さんは当時20代後半、いつもあか抜けた格好をして帰省していました。足が不自由な祖父を支えているようにも見えます。そして、極めつけは身長です。男性は中尾邸の門扉と比べて、かなりの長身であることが覗えます。まさに170cmの祖父と150cmの叔母でぴったりです。このような事情から「夾竹桃館」は非常に思い入れがある絵となったのでした。
時は流れて分別が付く年齢となった頃、我が家にも「夾竹桃館」を飾りたいと思いだしました。そして絵画収集の沼にはまったのです。(つづく)
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