第49話 「大英帝国VSアメリカ南部の戦い」

更新日:2026/01/01

 明けましておめでとうございます。

 さて、新年第一弾は久々に祖父の話です。更にうちの父も初登場します。タイトルからして怪しいですが最後までご覧ください。

 

 祖父は明治生まれにしては珍しく英語が堪能でした。(21話参照)生粋のイギリス人の先生に習ったので、当然「キングズイングリッシュ」です。子ども心に映画の英語みたいだと思っていました。父も祖父から基本的な会話は習っていましたが、実践的英会話の相手は、何と進駐軍のアメリカ兵でした。

 敗戦後、我が家の隣のマリア園と海洋気象台は進駐軍のキャンプとなりました。武闘派だった父はアメリカ兵と柔道をとおして交流を深め(喧嘩しに行ってただけですが。)一番強かった黒人兵と仲良くなったそうです。その彼がアメリカ南部(多分オクラホマ州)出身だったのです。南部の英語は訛りが強くアメリカ人でも聞き取れないと言われるほどです。

 かくして髙木家では「キングズイングリッシュ」と「南部訛り」が入り乱れる事となったのでした。「お前の英語は訛ってるうえにslang(俗語)が多い。」と叱責する祖父に対して「そんな堅苦しい英語はyankee(アメリカ人)には通じない。」と抗弁する父、抗争は泥沼化しました。ところが、長きにわたった戦いは意外な局面で終結しました。

 

 瘦せ型だった父は黒人兵の勧めもありボディビルを始めました。根が生真面目だったので、鍛錬に明け暮れコンテストで優勝までしてしまいました。ところがこれが晩年祟りました。首の筋肉に骨が負けて頸部圧迫骨折で手術となったのです。手術後の首の固定が終わりようやく退院が近づいた頃、祖父を連れて市民病院(現みなとメディカル)に見舞いに行きました。そこでアクシデントに巻き込まれてしまったのです。

 

 今ほどではないですが、昔から長崎港には外国の客船が寄港していました。その乗客のアメリカ人女性が運び込まれてきたのです。早口でまくし立てるネイティブイングリッシュに、英会話に力を入れてなかった当時の英語教育は全く歯が立たず、看護師はおろかドクターまでお手上げ状態です。この窮状に腰を上げたのが祖父と父でした。連れだって診察室に向かい、同時にデラックスな体型のアメリカ人女性に話しかけました。

 「これはこれはご婦人、お初にお目にかかります。ご機嫌麗しゅう。」とキングズイングリッシュで話しかける、スーツ姿にステッキの老紳士。かたや、「おめ、何しにここさ来ただ。」南部訛りで首にギブスをまいたパジャマ姿のキン肉男。誰もが英国の勝利を疑いませんでした。

 5分後、デラックスさんはキン肉男と談笑していました。南部訛りの圧勝。堅苦しい大英帝国英語は、ブロークンでフレンドリーな訛英語に敗れ去ったのでした。ちなみに、私は会話は今一つですが聞き取りはできました。デラックスさんが引退したnurse(看護師)で、日本の医療現場を見に来たら患者と間違われた事と、父に「あなたオクラホマ生まれでしょう。」と話してたことは理解できました。

 こうして我が家での英語覇権争いは治まったのでした。めでたしめでたし。

 

 5年目に入った会長の小部屋、今年もよろしくお願いします。

 

 

              1980年代の長崎港

 

 

第48話はこちら
 一覧に戻る