第48話 「南山手16番館の謎」

更新日:2025/12/06

 いつしか師走となりました。今年最後の小部屋は、前回に続き洋館の話です。皆さんが不思議に思っていた建物の謎が解けるかもしれません。

 

 グラバー園に行ったことがある方は、出口のすぐ左側にある洋館を目にしたことがあると思います。結構な大きさと景観を誇りながらも、ほぼ廃屋化しているこの洋館は「南山手16番館」と言います。観光地のど真ん中、世界遺産のお隣になぜ廃屋が放置されているのか、この謎を解いていきましょう。

 16番館は居留地時代の1860年代にアメリカ領事館の宿泊所として東山手に建てられました。その後、個人や活水女学校が所有、戦後は長崎出身の宝塚スター古賀野富子が購入し、南山手に移築されました。平屋ながらも円形屋根のエントランスが目を引く洒落た洋館で、重要伝統的建造物の指定も受けています。歴史資料館として活用されていました。

 また、隣接する土地には同じ名を冠したホテルも建てられ、東急ホテル(現ANAクラウンホテル)ができるまでは、南山手観光の拠点として繁盛していました。私が子どもの頃、築年数は経っているものの多くのお客さんで賑わっていた覚えがあります。

 やがて、所有者が亡くなり歴史資料館もホテルも閉館してしまいました。その後、何人か所有者が変わりましたが、16番館は修復されることなく今に至ったのでした。

 さて、ここで疑問が生まれたと思います。伝統的建造物の指定を受けているのに、なぜ国や市は何もしないで放置したのでしょうか?答えはややっこしいルールがあるからです。伝統的建造物(洋館)を修復する際には、費用の2/3を国と市、残りの1/3を所有者が負担します。(13話参照)修復は建物の状況をみて国や市から打診があるのですが、最終決定は所有者です。16番館クラスの洋館となると、1/3でも費用は莫大な額となります。しかも補助対象となるのは外観のみ、内装等は手出しとなります。所有者が躊躇するのも頷けますね。重要伝統的建造物なので取り壊すこともできず、かと言って修復もできない。こうして「南山手16番館」は廃屋のまま放置されたのでした。

 

 実は南山手には同じような理由で放置されている洋館があります。通り沿いではないのであまり目立ちませんが、朽ち果てていく様は見ていて胸が痛くなります。観光の目玉でもある伝統的建造物、長崎市も財政難で買い取りは厳しそうです。

 小部屋をご覧のお金に不自由してない皆さん、(もしくはこっそり年末ジャンボに当選した貴方)、どうぞ南山手の洋館の購入を検討してください。

 さて、今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。

 

 

           廃屋として放置された「16番館」

 

 

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