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更新日:2025/10/04
いつしか10月となりました。今回は芸術の秋にふさわしく音楽の話です。実は先月、歩いて15mのホテルインディゴ(39話参照)でランチ・コンサートがありました。寺山巧シェフ(見た目は和食、実は凄腕フレンチ)による圧巻のコース料理の後に、原さとみさんらによるオペラ公演がありました。原さんは、長崎を中心に国内外でコンサートを行っているプリマです。「マダムバタフライ」をはじめ数曲の公演がありました。インディゴのレストランは、もともとマリア園の礼拝堂だったので、音響効果も抜群です。浮世の諸事雑多を忘れて幸せな時間を過ごさせてもらいました。
さて、お題の「マダムバタフライ」は、1904年にミラノスカラ座で初演されたジャコモ・プッチーニによるオペラです。プッチーニは「マノン・レスコー」をはじめ多くのオペラを手がけたイタリアを代表する音楽家です。
この「マダムバタフライ」が有名になったのは2幕のアリア「ある晴れた日に」でした。伝説のソプラノ歌手マリア・カラスの十八番として、また、フィギアスケートの浅田真央が使ったこともあり、耳にしたことがある方は多いと思います。
「マダムバタフライ」の原作は、1898年にアメリカの作家ジョン・ルーサー・ロングが書いた短編です。長崎に駐屯した海軍士官ピンカートンと蝶々さんの悲劇的な恋物語が描かれています。(取りようによっては現地妻と重婚のドロドロした話なのですが。)
この原作をもとにプッチーニが情感豊かなオペラに仕立てたのですが、実は裏話があります。蝶々さんのモデルは誰か?の話です。諸説ありますが、一番濃厚なのはトーマス・グラバーの妻・淡路屋ツル説です。植民地と居留地、アメリカ人とイギリス人、軍人と商人、いくつかの置き換えはありますが、長崎を舞台とした日本人女性との恋物語として合点がいきます。決定的なのは、淡路屋ツルの息子である倉場富三郎がペンシルバニア大学留学中に、ロングの姉と親交があり、後日ロングがそのことを回顧している点です。倉場富三郎の来歴をもとに構想を膨らませていったのでしょう。
グラバー園内には、マダムバタフライ像があります。訪れた際には感慨深くご覧ください。ちなみに、モデルとなったグラバーさんとツルさんは、最後まで仲睦まじく暮らしましたので、ご安心ください。
今回の料理、蝶々夫人と居留地時代のレシピがテーマでした。帯に見立てて見事な細工を施したオードブルや昆布しめの地魚、隠し味に味噌を効かせたビーフシチュー等、勉強家の寺山シェフの腕前が冴えわたっていました。更に誕生日の知人には、バースデープレートとプリマによるお祝いの独唱のサプライズ、支配人の丹羽さんの心配りもナイスでした。
さて気になるお値段ですが、料理と公演内容を考えるととてもリーズナブルでした。丹羽さんによると、非常に好評で席が取れなかったお客さんが多数いたため、第2弾・第3弾を企画するとの事、皆様も足を運んでみてください。
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