長崎市南山手地区町並み保存センタートップページ
更新日:2025/08/02
暑中お見舞い申し上げます。
前回は飛び込みネタで1回中断しましたが、田川憲シリーズ再開です。
ウエダセイジン(本名 上田清人)は在郷の洋画家です。若い頃に版画美術館の設立に携わっていました。作品を収集する中で田川 憲の奥様を訪ねたそうです。田川 憲は晩年を南山手で過ごしましたが、没後一家は大村市に引っ越しました。大村まで何度も足を運び奥様とも懇意になった頃、内輪話を教えてくれたそうです。田川 憲は木版画家の宿命で晩年肩を壊しました。そこで、奥様が指導を受けて「摺り」を手伝うになりましたが、飲み込みが早く、田川本人が太鼓判を押すほどだったそうです。また、田川の腕前は評判でしたが、パトロンとなる画商がついていなかったため、作品を売って生計を立てていました。再々個展もできないため、奥様が近所に行商していたそうです。何と、南山手の家々に田川 憲の作品を売り歩いていたのです。町内に住む有名な版画家の作品、モチーフは自宅や近所の風景、しかも売りに来たのは奥様、これは買います。間違いなく南山手の住民は買います。なるほど、馬渡外科に作品があった訳です。すぐに隣の江頭さんに聞いてみると、ありました、「夾竹桃館」をはじめ数点所有していました。まさに「灯台下暗し」、翌日から急遽方針変更です。骨董屋回りがご近所回りとなりました。
1か月後、コレクションは一気に10点を超えました。田川 憲の代表作と言える「グラバー氏の庭」や「西洋骨董品店」、そしてもちろん待望の「夾竹桃館」。今までの苦労が嘘のように、いとも簡単に手に入りました。田川 憲の奥様から買った絵を額装して飾っていたのは数軒、ほとんどの家は台紙のまま保管していました。しかし、これが幸いしました。薄暗い倉庫に入れられていたおかげで日焼けはゼロ、信じられないくらい良好な状態です。しかも、しかも、しかも、「(買ったことを)忘れていたものなので、持って行ってください。」とのお言葉。しかし、これにはさすがに気が引けたので、後日福砂屋を持っていきました。それにしても、入手困難な田川 憲の作品が、歩いてカステラと交換できるとは。「禍福は糾える縄の如し」とはよく言ったものですね。
ちなみに、我が家の倉庫の長持ちの下からも3枚出てきたことは、情けないので内緒です。(つづく)
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