長崎市南山手地区町並み保存センター
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更新日:2026/02/01
連日寒い日が続きますが、皆様お元気でお過ごしのことと思います。
さて、前話を見た全国の皆様から父の事をもっと教えろとのお便りが12通ほど来たので、父の話の続きです。文化財に何の興味もないという総合格闘家の皆様もご覧ください。
父 徳久は、昭和4年髙木家の長男として生まれました。外資系商社勤めの祖父・義盛と長崎小町と言われた祖母・五月の元、イギリス人が建てた洋館で幸せな幼少期を過ごしました。そのまま行けば筋金入りのお坊ちゃんになったのでしょうが、戦争で歯車が狂います。祖父は職を失い更に非国民のレッテルを張られます。(22話参照)父もそれまでちやほやしていた取り巻きから一気に冷遇され、とどめに美人薄命の祖母は若くして他界してしまいました。後妻に入った義祖母との関係もうまく行かず、本来なら引きこもりになるところでしょうが、この逆境が父の反骨精神を育てました。柔道をはじめ武道にうち込み瞬く間に近隣を鎮圧、更なる強豪を求め進駐軍キャンプに乗り込んだのでした。
「黒人とは闘うな」
“柔よく剛を制す”の言葉どおり、柔道は相手の力を使って技をかけます。小柄で痩せ型の父に挑んだ屈強のアメリカ兵は、仲間が次々に投げ飛ばされるのを見て唖然としたそうです。しかも、畳の道場と違ってクッションがない地面に、受け身の経験もなく叩きつけられるのです。ダメージも半端じゃありません。次々と連破する父の前に立ちはだかったラスボスがくだんの黒人兵(49話参照)でした。父によると恐ろしくタフで、何度地面に叩きつけても立ち上げってパンチを繰り出してきたそうです。最後は関節技で辛うじて勝ったそうですが、二度と闘いたくない相手だったと言っていました。(相手も同じことを言ってたらしいです。)
こうして父はアメリカ兵と懇意になり柔道を教える事となりました。代わりに食料を分けてもらい、その過程で実践的(オクラホマ訛)英会話も身に着けました。更に歌やギターも教えてもらい、豊かな戦勝国に憧れたそうです。ちなみに父の十八番は、カントリー歌手ハンク・ウィリアムズのジャンバラヤでした。
「獣は手ごわい」
時は流れて石油屋となった父は人生2回目の強敵と出くわします。相手はそちらの筋、と言っても人間ではありません。若い社員から売掛金が全く回収できないとの報告を受けた父は、右腕の部長(体育会系)と一緒に自らその会社に向かいました。その会社は、表向きは真っ当ですが、そちらの筋が経営するいわくつきの会社だったのです。鎧兜や鹿の首が飾ってあるいかにもな広間に通された父たちは、当然のように囲まれて恫喝されました。部長は逃げ出したかったらしいですが、父がびくともしません。業をいやしたそちらの筋は遂に最終兵器を連れてきました。漆黒のドーベルマンです。低い唸り声をあげて近づいてくる猛犬に、部長は部屋の隅に移動しました。(勇気ある撤退で決して逃げたのではない。話を教えてくれた部長談)そして父の方を見ると、何と上着を左腕に巻き付け、体勢を低くして構えていたそうです。左腕を捨て右腕で絞殺すつもりです。流石のドーベルマンも本能的に危険を察知したのか歩を止め、逆に父がにじり寄ります。
「払ってやれ。」一番奥の席でこの様子を見ていた社(組)長の一声で全て終了しました。満額取り付けた帰り道、「人間は倒せるが、獣は手ごわい。」と大山倍達みたいな話をしていたそうです。これで一件落着のはずが、この後祟りがありました。父の会社の1階の喫茶店に社(組)長が子分を連れて連日押しかけてきたのです。お礼参りと思いきや何とスカウトでした。「手当は言い値で出す、幹部でどうだ。」「俺はヤ〇ザにはならん。」こんなやり取りが延々と続き、さすがの父も往生したそうです。
如何でしたか。好評でしたら次回も父の話をしようと思います。(つづく)
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